自転車で小田原城を見に行きました。
こちらが前回の記事です。
自転車で横浜から小田原城へ!鎌倉経由70キロの日帰りサイクリング記【前編】
【この記事から分かること】
- 小田原城から鎌倉までの復路のルートと所要時間
- 相模国総社・六所神社、旧吉田茂邸(県立大磯城山公園)の歴史と見どころ
- 車坂の碑に伝わる3つの和歌のエピソード
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小田原城

小田原城は復興され、小田原城址公園として利用されています。
城だけでなく、城門や櫓、堀などもあるので、なかなか見応えがあります。
城の中も見学することができます。
天守閣からは小田原の街や相模湾を一望できます。


小田原城の天守閣から相模湾や周りの山々を一望したので、これから鎌倉に帰ります。
小田原から鎌倉へ、復路スタート
鎌倉に向けて12時2分に、小田原を出発しました。
朝早かったせいか、小田原を出る前に少々眠気に襲われましたが、あまりのんびりしてられないので我慢して出発しました。
酒匂川の眺め
小田原城を出発して10分ほどで酒匂川に着きました。

この辺りは建物が密集しておらず、のんびりとしていて、なかなか良い眺めです。
帰りにゴーゴーカレーに寄る予定だったのですが、すっかり忘れてしまい、思い出したのは親木橋に差し掛かったところでした。
さすがにここから戻る気にはならないので諦めました。
鎌倉から小田原までのサイクリングルートは、あまり坂がありません。あっても緩やかな坂が少しある程度です。

車坂の碑に伝わる3つの和歌
坂の途中に「史跡 車坂」の碑があり、太田道灌、源実朝、北林禅尼の三人の歌が紹介されてました。
- 「鳴神の 声もしきりに車坂 とどろかしふる ゆふ立の空」太田道灌
- 戦国兵乱の世の和歌集に「平安紀行」があります。「平安紀行」の作者は、太田道灌とする説と異説とする説がありますが、その前文に「車坂という里にてゆう立しきりに降りそえば」とあり、この時に詠んだものです。
- 「浜辺なる 前川瀬を逝く水の 早くも今日の 暮れにけるかも」源実朝
- 「吾妻鏡」健保元年の条に記録があり、源実朝が鎌倉を出て箱根、伊豆の二権現に参拝する際、前川まで来た時、正月でも洪水があったとみえ、河を渡ることが出来ず日暮れまで待つ間に詠んだものです。
- 「浦路行く こころぼそさを浪間より 出でて知らする 有明の月」北林禅尼(阿仏尼)
「十六夜日記」は、阿仏尼が夫の逝後、先妻の子為氏と我が子為相との相続争いの訴訟のため、京を発ち鎌倉に下る紀行文です。その前文に酒匂に泊り、あす鎌倉へ入るとあり、この時に詠んだものです。
相模国総社・六所神社
12時40分過ぎに中郡二宮町に入りました。
さらに進むと六所神社があったので寄りました。

六所神社は、相模の総社です。
案内板によれば、人皇十代崇神天皇の頃(紀元前一世紀頃)、出雲地方よりこの地に氏族が移住し、開墾開発されたことに始まるそうです。
かなり歴史ある神社であり、平安時代には、この地に相模国の国府が置かれました。
源頼朝、後北条氏、徳川家康からも、相模の総社として崇敬されたと伝わっています。

この地にあった柳田神社、相模の一宮から四宮(寒川神社、川勾神社、比々多神社、前鳥神社)および平塚八幡宮と、六社の神を祀っているので六所神社と称するようになりました。
県立大磯城山公園へ
この時点で時間は13時15分を過ぎてました。ここまで順調にきましたが、かなりお尻が痛くなってきました。サドルに座る位置を変えたりして、誤魔化しながらペダルをこいでいます。
大磯警察署から数分で県立大磯城山(じょうやま)公園に到着しました。

県立城山公園は、北側の旧三井別邸地区と、南側の旧吉田茂邸地区とがあります。

旧三井別邸地区
旧三井別邸地区の展望台からは富士山や大磯の海を一望できます。

午前中は天気が曇ってましたが、午後には良い天気になって富士山がハッキリ見えました。真鶴半島や伊豆半島もよく見えました。

公園は丘陵地をうまく利用した立地になってます。自然も豊かで、シイやカシ、紅葉の木などが見れます。

公園内には、横穴古墳があって、そこからは縄文土器が発見されてます。これらは園内にある郷土資料館で展示しています。
城山庵では、有料で抹茶を提供しています。
旧吉田茂邸地区
城山公園の南側にあるのが、和風庭園の先駆けといわれた吉田茂邸庭園です。
旧吉田茂邸は、吉田茂首相が晩年を過ごした邸宅で、吉田茂はこの場所から見える富士山の眺めを楽しんだそうです。
海側には、吉田茂の像が建っており、像はサンフランシスコの方を向いているそうです。銅像の前からは、相模湾や真鶴半島、伊豆半島が見えます。

旧吉田茂邸地区の正門から入ると、右手にバラ園があります。
吉田茂は、バラの愛好家だったといわれ、当時からバラ園があったそうです。吉田茂は、みみずや毛虫が嫌いだったそうですが、バラについた虫は頑張って除いていたという逸話があります。
こじんまりとした静かなバラ園です。

兜の形に似ていることから、兜門と呼ばれている門です。

吉田茂の養父は実業家で富豪だったので、明治十七年にこの地に別荘を建てたそうです。
吉田は賛否がわかれますが、政界を引退した後も多くの政治家がこの地を訪れました。
平成21年3月に建物は焼失しましたが、大磯町が再建し、平成29年4月に一般公開されました。

ちなみに旧吉田茂邸地区の駐車場料金は、平日は無料、土日祝日は1時間300円(以降30分毎150円)です。
自転車や二輪車は無料でした。といっても駐輪スペースは広くありません。

この辺りは本当に良いロケーションです。

平塚~鎌倉まで

県立城山公園を出て、再び太平洋岸自転車道を通って鎌倉を目指します。
まだ13時30分をまわったところですが、まだ大磯なのでペースをあげます。ただ、相変わらずお尻が痛いです。
大磯の海水浴場にあった日本最初の海水浴場の案内です。日本のサーフィン大会の歴史は意外と古く、1971年5月30日から始まったとあります。

平塚市には13時53分に入りました。
茅ヶ崎市には14時20分に入りました。ここまで来ると鎌倉まであと少しです。

お尻が痛くて、途中にあった県立辻堂海浜公園で休憩しました。季節外れなので開いてませんが、ここ海浜公園にはプールがあります。

ここからは、タオルをクッション代わりにサドルに敷きましたが、やはり痛いです。
鎌倉市に入ったのは15時20分です。思った以上に早く着きました。

今日の夕陽
そういえば今日はお昼ご飯を食べてないことに鎌倉に入って気付きました。ちょうど腰越に吉野家があったので寄りました。
安い値段ですき焼きを食べたい人には、吉野家の牛すき鍋膳はいいんじゃないでしょうか。
夕日に合わせて吉野家で本を読みながらのんびり食事したので、店を出たのは16時過ぎでした。
この日の日の入りは16時40分くらいなので、帰る途中で夕陽を見ることに決めました。
走ってる後ろから江ノ電が来たので写真をパシャリ写真を撮りました。向こう側からだったら写真に海も入るので良かったんですけど。

行合橋に着いた頃には、日が沈むまであと少しといったところでした。
稲村ヶ崎に着いたのは16時30分だったので、ここで夕陽を見ることにしました。

この時季は快晴が少なく、今日もやはり曇ってました。二人組の女性が夕陽を見に電車で来たと言ってたのが、少し可哀そうにみえました。
引き続きお尻の痛さと戦いながらのんびりと帰りました。
今回の記録
走行距離 132キロ
- 出発時刻 午前3時
- 帰宅時刻 午後5時過ぎ
- 合計時間 14時間以上
今回のルートは、平たんな道が多かったので距離の割にはそれほど疲れませんでした。
正直なところ、体力よりもお尻が痛いのがきつかったです。
まとめ
今回走ったルートは、走りやすいうえ、景色も良く、坂が少ないので、サイクリング初心者にもおすすめです。
都心からも近く、海を見ながら自転車を走らせることができるルートはなかなかありません。
車やバイクでは通り過ぎるだけだった場所も、自転車だからこそ、その場所の魅力に気付くことができます。
時々でいいので、これからも自転車でいろいろな場所に行ってみようと思います。
そして、次の日は少しだけ筋肉痛になりました。




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