鎌倉を流れる滑川、逆川などに架かる10の橋「鎌倉十橋」をご存じでしょうか。
江戸時代の新編鎌倉志で選定された橋々には、源頼朝・実朝・西行・新田義貞の伝説が残っています。
鎌倉の街を歩いていると、ふと目にとまる石碑があります。
十王堂橋、乱橋、裁許橋……いずれも橋の名を刻んだ碑ですが、川は暗渠となり、橋はコンクリートに舗装され、もはや橋とすら分からないものも少なくありません。
これら10の橋は、江戸時代の地誌『新編鎌倉志』(1685年編纂)で選ばれた「鎌倉十橋(かまくらじっきょう)」と呼ばれるものです。
ひとつひとつの橋に、鎌倉時代の武将や僧侶、そして名もなき人々の物語が残されています。
ところが、現在は橋そのものに往時の姿はありません。しかし、石碑に残された伝説を知って歩けば、何気ない街角が歴史の舞台に変わります。
この記事では、実際に十橋をすべて歩いて写真に収めた記録をもとに、ひとつひとつの橋に残る物語をご紹介します。
目次[閉じる]
鎌倉十橋とは|江戸時代の観光ガイドが残した名数
新編鎌倉志が選んだ10の橋
鎌倉十橋は、水戸光圀の命により編纂された地誌『新編鎌倉志』(1685年)のなかで、鎌倉の名数として選定された10の橋のことを指します。
鎌倉時代から残る重要な道の橋、伝説が伝えられている橋、主要な河川を渡る橋……そういった橋が選定されました。
江戸時代中期以降、鎌倉は観光地として賑わうようになり、「七切通(ななきりどおし)」「五名水(ごめいすい)」「十井(じっせい)」といった名数で名所を紹介する文化が広がります。
十橋もそのひとつとして定着しました。
滑川を中心に流れる橋
鎌倉十橋の多くは、鎌倉を代表する川である滑川(なめりがわ)とその支流に架かっています。
滑川は朝比奈峠を源流として十二所、浄明寺を下り、由比ヶ浜へと注ぐ全長約5.5キロの河川です。
かつては流域ごとに別名で呼ばれ、上流から胡桃川・座禅川・夷堂川・墨売川・閻魔川などと姿を変えていきました。
川そのものが鎌倉の歴史と密接に結びついていたのです。
鎌倉十橋 一覧
鎌倉十橋は以下の10橋です。記事後半で、一つずつ詳しく紹介していきます。
- 歌ノ橋(うたのはし) — 和歌によって命を救われた御家人の物語
- 夷堂橋(えびすどうばし) — 源頼朝が鬼門除けに建てた夷堂のほとり
- 勝ノ橋(かちのはし) — 徳川家康の側室・勝の局が架けた橋
- 裁許橋(さいきょばし) — 鎌倉幕府の裁判所があった場所
- 逆川橋(さかさがわばし) — 川が逆に流れるように見えた不思議
- 十王堂橋(じゅうおうどうばし) — 閻魔ら十王を祀った堂があった
- 筋替橋(すじかえばし) — 幕府中枢に架かっていた主要橋
- 針磨橋(はりすりばし) — 針を磨く老婆の伝説
- 琵琶橋(びわばし) — 若宮大路を渡る由緒ある橋
- 乱橋(みだればし) — 新田義貞の鎌倉攻めで幕府軍が乱れた橋
1. 歌ノ橋|和歌が命を救った鎌倉時代の奇譚

場所:二階堂(鎌倉宮の近く・東勝寺橋の下流)川:滑川
橋の物語
建保元年(1213年)、和田合戦の折、御家人の渋川兼守(しぶかわ かねもり)が謀反の疑いをかけられ、死罪を命じられました。
兼守は自らの無念を和歌十首に詠み、荏柄天神社に奉納します。
翌朝、この歌を耳にした三代将軍源実朝が深く心を動かされ、兼守の赦免を命じたと伝えられています。
命を救われた兼守は、感謝の気持ちを込めてこの橋を架けました。
和歌が人の命を救った——まさに文芸の都・鎌倉らしい逸話です。
見どころ

橋そのものは現代の小さな橋ですが、橋のたもとには石碑が建ち、歌の力にまつわる物語を今に伝えています。
近くの荏柄天神社は学問の神様として知られ、受験シーズンには多くの参拝者が訪れます。
2. 夷堂橋|源頼朝が鎌倉の鬼門を守るために建てた堂

場所:小町(本覚寺の門前) 川:滑川(この辺りは夷堂川とも呼ばれた)
橋の物語
かつて、この橋の近くには夷堂(えびすどう)がありました。
これは源頼朝が鎌倉幕府の鬼門(北東)除けのために建てたと伝えられる堂です。
夷神(えびすしん)は七福神のひとつで、商売繁盛・豊漁の神として知られます。頼朝は鎌倉を守るためにこの神を祀ったといわれています。
明治の廃仏毀釈で夷堂は一度失われましたが、現在は本覚寺境内に再建されています。
橋を渡ってすぐの本覚寺で、夷神に会うことができます。
見どころ

本覚寺は「日蓮宗の本山」として知られ、毎年1月には「本えびす」が開かれ、多くの参拝者で賑わいます。
夷堂橋から本覚寺山門、そして境内の夷堂へ……源頼朝時代の信仰の流れを、徒歩数分で辿ることができます。
3. 勝ノ橋|徳川家康の側室が架けた橋

場所:扇ヶ谷(英勝寺の近く) 川:扇ヶ谷川
橋の物語
この橋を架けたのは、徳川家康の側室として知られる、お勝の方(のちのお八)です。
お勝の方は、太田道灌の子孫にあたる太田家の女性で、家康の信任篤い側室でした。
晩年、出家して英勝院と号し、寛永13年(1636年)、自らの屋敷跡に英勝寺を建立します。
これが鎌倉唯一の尼寺として今に続く英勝寺です。
鎌倉「英勝寺」|江戸時代の建物と歴史が息づく鎌倉唯一の尼寺を訪ねて
英勝寺を開く際、お勝の方が架けたのがこの橋です。彼女の名「勝」から、勝ノ橋と呼ばれるようになりました。
見どころ

現在は石碑のみが残ります。
しかし、橋のほど近くにある英勝寺は、徳川家ゆかりの尼寺として山門・仏殿・鐘楼などが国の重要文化財に指定されており、見応えがあります。
鎌倉時代だけでなく、江戸時代の女性の物語が残る貴重な橋です。
4. 裁許橋|鎌倉幕府の裁判所があった場所

場所:御成町(御成小学校の近く)川:佐助川(今小路を横断して流れる)
橋の物語
この橋の近くには、現代の裁判所にあたる問注所(もんちゅうじょ)がありました。
鎌倉幕府の訴訟を裁いた重要な役所です。訴訟を裁許する役所があったことから、裁許橋の名がついたと伝えられます。
橋の南方には飢渇畠(きかつばたけ)と呼ばれる場所があり、刑場跡だったとも伝えられています。
裁許と刑罰、この橋の周辺は、鎌倉幕府の司法制度の中核でした。
また別名を西行橋(さいぎょうばし)ともいいます。鎌倉時代の僧侶で歌人の西行法師がこの橋の上で源頼朝に名を問われた、あるいは頻繁にこの橋を通っていたとの伝承によるものです。
『吾妻鏡』には、西行が鎌倉で頼朝に会い、弓馬の話をしたあと銀の猫を与えられ、外で遊んでいた子供にその猫を与えて立ち去った、という逸話が残されています。
見どころ

現在は名前のみが残り、橋はコンクリートの小さな橋になっています。
御成小学校付近の「門注所旧蹟」の石碑と合わせて歩くのがおすすめです。
5. 逆川橋|川が逆に流れるように見えた不思議

場所:大町(大町四ツ角の近く)川:逆川(さかさがわ)
橋の物語
逆川は、名越から南へ流れる川筋がぐるりと屈曲し、途中で北上するように見える場所があります。
あたかも川の流れが逆行しているように見えるため、逆川(さかさがわ)と呼ばれるようになりました。
この橋は、まさに川が逆行するように見える地点に架かっているため、逆川橋と命名されました。
見どころ

現代の鎌倉では宅地化とコンクリート舗装により川の姿が見えにくくなり、逆に流れているイメージはなくなっています。
6. 十王堂橋|閻魔ら十王を祀る堂があった

場所:山ノ内(北鎌倉駅前から鎌倉街道を大船方面へ150メートル)川:山ノ内川
橋の物語
この橋の名は、かつて橋のそばにあった十王堂に由来します。
十王とは、閻魔大王を筆頭に、死後の人間を裁くとされる十柱の王のことです。閻魔・初江王・宋帝王・五官王・変成王・太山王・平等王・都市王・五道転輪王・閻魔天が含まれます。
橋のそばにあった十王堂は今はなく、十王像はいまの円覚寺の塔頭・桂昌庵(けいしょうあん)に移されています。桂昌庵では、今も閻魔を中心とする十王像を拝むことができます。
北鎌倉駅を降りて十王堂橋を過ぎれば、すぐ目の前が円覚寺です。鎌倉五山第二位の格式をもつ古刹で、北条時宗が元寇の戦没者を慰霊するために建立した禅寺です。
鎌倉五山第二位・円覚寺|800年の歴史が息づく鎌倉随一の古刹
見どころ

北鎌倉駅から徒歩2分という好立地にあり、円覚寺参拝とあわせて訪れやすい場所です。
現在は石の小さな橋で特に目立つものはありませんが、橋の脇に石碑があり、かつてこの地に死後の世界を司る神々が祀られていたことを教えてくれます。
7. 筋替橋|幕府中枢を結ぶ要の橋

場所:雪ノ下(宝戒寺の近く)川:滑川支流
橋の物語
筋替橋は、鎌倉幕府の主要施設が集中する一帯に架かっていた重要な橋です。
近くの金沢街道(六浦道)に対して、橋が「くの字」に架かっていたため、筋違橋と呼ばれたと伝えられます。
『吾妻鏡』にも「筋違橋」の名が登場しており、鎌倉十橋のうち『吾妻鏡』に明記されているのは「筋違橋」と「乱橋」の二つのみという歴史的価値の高い橋です。
見どころ

現在は川が暗渠となり、橋は消失しました。石碑のみが往時を静かに語ります。
しかし石碑の向こうに広がる宝戒寺、若宮大路、そして鶴岡八幡宮、すべてが徒歩圏内であり、鎌倉幕府の中心地を感じられる場所です。
鶴岡八幡宮の見どころ案内|鶴岡八幡宮で感じる武士の都と四季の風情
8. 針磨橋|針を磨く老婆の伝説

場所:極楽寺(極楽寺から稲村ヶ崎へ向かう途中)川:極楽寺川
橋の物語
橋の名の由来には、2つの伝説があります。
ひとつは、橋の付近に針金を磨いて針を作る老婆が住んでいたことから針磨橋と呼ばれるようになったという説です。
もうひとつは、「我入道(がにゅうどう)」と呼ばれる僧侶が近くに住んでいたことから、我入道橋と呼ばれたという説です。
古い時代の針は貴重品であり、それを作る職人の存在は村の生活に欠かせませんでした。鎌倉時代の庶民の暮らしを垣間見られる、貴重な伝承です。
見どころ

極楽寺駅から稲村ヶ崎方面へ歩く途中、小さな橋の脇に石碑が立っています。
極楽寺(忍性ゆかりの真言律宗の寺)や、すぐ近くの成就院(紫陽花の名所)と合わせて訪れるのが定番の散策ルートです。
9. 琵琶橋|若宮大路を渡る由緒ある橋

場所:由比ヶ浜(下馬四ツ角の南側)川:滑川
橋の物語
琵琶橋の名は、若宮大路のこの辺りがかつて琵琶小路(びわこうじ)と呼ばれていたことに由来します。なぜ琵琶小路と呼ばれたかについては、道筋が琵琶の形に似ていた、あるいは琵琶を弾く盲人が住んでいたなど、いくつかの説があります。
若宮大路は鶴岡八幡宮に至る参道として鎌倉時代から整備されてきた重要道路です。琵琶橋はその若宮大路が滑川を渡る地点に架かっています。
見どころ

昭和30年(1955年)頃までは朱塗りの橋が架かっていましたが、その後コンクリートに舗装され、平成4年(1992年)に御影石の橋として新しく再建されました。
若宮大路の由比ヶ浜側の入口にあたり、海へと向かう人々が必ず通った道です。今も鎌倉の観光客で賑わう場所です。
10. 乱橋|新田義貞の鎌倉攻めに残る伝説

場所:材木座(大町四ツ角から海岸方面)川:滑川支流
橋の物語
元弘3年(1333年)、新田義貞は鎌倉幕府を倒すため、軍勢を率いて鎌倉を攻めました。稲村ヶ崎での伝説的な奇襲を経て、義貞軍は鎌倉へとなだれ込みました。
防戦する幕府軍は、この橋のあたりで隊列が崩れ始めたと伝えられます。乱れ始めた橋から乱橋(みだればし)と呼ばれるようになったというのが、知られる由来です。
しかし、『吾妻鏡』には、新田義貞の鎌倉攻めより85年も前の宝治2年(1248年)、すでに濫橋(らんきょう)の名が記されています。
2つの異なる説が、この橋の物語をより豊かにしています。
明治期には材木座村と合併して乱橋材木座村となり、昭和14年の鎌倉市制施行後は「鎌倉市乱橋材木座」、戦後の住居表示制度で「乱橋」の地名は消滅しました。
見どころ

橋は非常に小さく、道路とともに舗装されているため、うっかりすると見落としてしまいます。そばの石碑が目印です。
海岸が近く、潮風を感じ始める場所です。
鎌倉十橋めぐりの歩き方

1日で全部回ることは可能か
結論から言えば、1日で10橋すべてを回ることは可能です。ただしかなり歩きます。
全橋を結ぶと、鎌倉の中心部から由比ヶ浜・材木座・北鎌倉・極楽寺までを横断することになり、総距離は10キロ以上になります。
健脚の方であれば、朝から夕方までかけて一気に巡ることもできます。ただし、それぞれの橋の周辺には寺社仏閣や歴史跡が多いため、ゆっくり味わうなら2日に分けるのがおすすめです。
おすすめのコース例
1日目(北鎌倉~鎌倉中心) 北鎌倉駅 → 十王堂橋 → 円覚寺 → 筋替橋 → 勝ノ橋・英勝寺 → 裁許橋 → 鶴岡八幡宮
2日目(大町~材木座~極楽寺) 鎌倉駅 → 夷堂橋・本覚寺 → 歌ノ橋・荏柄天神社 → 逆川橋 → 琵琶橋 → 乱橋 → 光明寺 → (江ノ電で)極楽寺 → 針磨橋 → 稲村ヶ崎
石碑を探すコツ
鎌倉十橋の多くは、現代では何の変哲もないコンクリートの橋か、川自体が暗渠化しています。
橋の近くに石碑があれば目印になりますが、何もない場所もあります。
事前に場所を確認しておくのが確実です。
なぜ今、鎌倉十橋を歩くのか
鎌倉十橋は、派手な観光名所ではありません。大仏や鶴岡八幡宮のような誰もが知る場所でもありません。
しかし、石碑に残された物語を知って歩くことで、何気ない街角が歴史の舞台に変わります。源頼朝が鬼門除けに夷神を祀った場所、西行法師が頼朝と語らった橋、新田義貞の鎌倉攻めで幕府軍が乱れた場所……鎌倉時代・江戸時代の記憶が、現代の鎌倉の地層の下に今も眠っています。
観光客で賑わう鶴岡八幡宮や大仏だけでなく、こうした目立たない場所にこそ鎌倉の本質があるのかもしれません。次に鎌倉を訪れる機会があれば、ぜひ十橋のどれか一つでも、その物語と共に歩いてみてください。
参考文献・典拠
- 『新編鎌倉志』(徳川光圀命・1685年編纂)
- 『吾妻鏡』(鎌倉時代の公文書)
- 鎌倉市観光協会公式情報
- 現地石碑の碑文
関連記事
普段何気なくサイクリングしている場所も、目的をもってめぐってみると、新たな歴史に出会うことができます。
鎌倉は自然に恵まれた場所なので、季節ごとに訪れれば、また違った表情の景色を楽しめるはずです。




コメント Comments
コメント一覧
コメントはありません。
トラックバックURL
https://kanagawa.yokohama-lifeplan.com/kamakura-jikkyou/trackback/