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鎌倉の石碑めぐり|青砥藤綱の石碑と「十文の銭」の逸話

鎌倉の石碑めぐり|青砥藤綱の石碑と「十文の銭」の逸話

サイクリングで鎌倉に行くと、道路沿いや住宅地の一角に建っている石碑をよく見かけます。

鎌倉は観光地なので、歴史上の人物や出来事に関する石碑が多く、鎌倉の長い歴史を感じさせてくれます。

石碑を見つけては自転車を止めて、碑に刻まれた文字を読みながら歴史上の人物や出来事を調べてみるのも、鎌倉観光の楽しみの一つです。

今回は、そんな石碑の中から十文銭の逸話で知られる青砥藤綱(あおとふじつな)の石碑を紹介します。

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鎌倉の街に多く見かける石碑

鎌倉を歩いていると、街中のいたる場所に石碑が立っているのに気付かれると思います。

普段見ないような難しい漢字が使われていることも多く、少し見ただけでも歴史を感じることができます。しかし、建てられた年月日を見ると、明治以降になってから建てられたものが多いことが分かります。

鎌倉には歴史的な出来事や人物にちなんだ場所が数多く残っており、それらを後世に伝えるために石碑が建てられてきました。

そんな石碑の中で、気になった人物の一人が青砥藤綱(あおとふじつな)でした。

 

青砥藤綱の石碑

鎌倉に住んでいた頃、サイクリングで市内を巡っていると、東勝寺跡近くで「青砥藤綱」の石碑を見つけました。

気になって石碑について調べてみると、鎌倉には青砥藤綱に関する石碑が二つあることが分かりました。

一つは、鎌倉市浄明寺5丁目にある石碑で、金沢街道を少し住宅地に入ったところにあります。

もう一つは、鎌倉市小町にある石碑で、東勝寺跡に向かう途中の橋の手前に建てられています。

 

青砥藤綱とはどんな人物か

青砥藤綱は、鎌倉幕府執権・北条時頼に取り立てられ、時頼、時宗の評定衆として活躍したとされています。

藤綱は、妾腹の生まれだったため、幼少の頃に寺に預けられ出家しましたが、21歳の頃に還俗して青砥三郎藤綱と名乗るようになりました。

28歳の頃に、推挙によって時頼に仕えることになったといわれています。

 

藤綱の器量は政治において優れ、権威があっても驕ることがなく、財があっても遊学を好まず、貧しい者には財を惜しまず施したといわれています。

ただ、藤綱について記述のある太平記が信憑性に乏しいと言われており、また、「吾妻鏡」や評定衆の名前を記した書物に藤綱の名が出てこないことから、本当に実在したかどうかは不明とされています。

 

十文の銭と五十文のたいまつの話

鎌倉時代なので、源頼朝や執権を中心に北条家の功績ばかり語られ、家臣の功績はそれほど語られることは多くありません。

青砥藤綱の逸話は、数少ない家臣の功績の一つかもしれません。

 

青砥藤綱で有名な逸話としては、十文の銭のために五十文の松明をつかった話です。

 

藤綱が、夜に滑川を渡っていると、誤って十文の銭を落としてしまいました。

藤綱は、十文の銭を探そうと五十文を使って炬(たいまつ)を購入し、火をつけて川の中を照らして探します。そして、ついに十文の銭を見つけ出しました。

 

十文を探すために五十文を使うーー。

この行動を聞いた人々は、藤綱を笑ったといいます。

笑われた藤綱はこう答えました。

「十文はわずかな額であっても、それを失えば天下の財貨を損なうことになる。五十文は私の損だが、天下の人々にとっては利益になる。」

 

この話は「太平記」に載っている逸話で、公の財を大切にする姿勢を示すものとして広く知られています。

 

青砥藤綱邸の石碑(浄明寺五丁目)

「青砥藤綱邸旧蹟

鎌倉執権の美績を談ずる者、概ね先ず時頼、時宗を称す。蓋し其の間、両代に歴任せる青砥左衛門尉藤綱が補益の功に負ふ所のもの、亦必ず少なからざるべきなり。藤綱逸話に富む。嘗て夜行きて滑川を過ぎ、誤りて銭十文を水に墜す。乃ち五十文を以て炬を買ひ水を照らして之を捜れりとの一事、特に最も人口に膾炙す。此の地は其の藤綱が居住の旧跡なりと言ふ。

大正十年三月建之 鎌倉町青年會」

 

青砥藤綱の石碑(小町三丁目)

「青砥藤綱旧蹟

太平記に拠れば、藤綱は北条時宗、貞時の二代に仕へて引付衆に列りし人なるが、嘗て夜に入り出仕の際、誤って銭十文を滑川に墜し、五十文の続松を購ひ、水中を照らして銭を捜し、竟に之を得たり。時に人々、小利大損哉と之を嘲る。藤綱は「十文は小なりと雖、之を失へば天下の貨を損ぜん。五十文は我に損なりと雖、亦人に益す。」旨を訓せしといふ。即ち其の物語は、此辺に於て演ぜられしものならんと伝へらる。

昭和十三年三月建  鎌倉町青年團」

 

滑川と青砥藤綱の石碑

青砥藤綱旧跡の近くに東勝寺橋があり、その下を流れている川が滑川(なめりがわ)です。

滑川は大きな川ではありませんが、鎌倉の中心を流れる川として知られ、歴史書にもたびたび登場します。

鎌倉は三方を山に囲まれ、大きな川がなかったので、水の確保が重要でした。そのため、滑川の存在は貴重であり、鎌倉の人々との生活とも深くかかわってきたといわれています。

 

(青砥橋からの滑川の眺め)

 

現在の滑川は穏やかな流れの小さな川ですが、青砥藤綱の逸話に登場する川と伝えられています。

東勝寺橋から眺める滑川の景色は、特に紅葉の時期が美しく、鎌倉の散歩の途中で立ち止まりたくなる場所の一つです。

 

青砥藤綱の石碑めぐりまとめ

  • 鎌倉には、青砥藤綱の石碑が二つある。
  • 藤綱は、鎌倉幕府執権の北条時頼に取り立てられた武将である。
  • 評定衆として時頼、時宗に仕えたという。
  • 石碑に書いてある説話はどちらも「十文のために五十文をつかった話」である。
  • 青砥藤綱は実在したかどうか定かではない。

 

コロナの頃に鎌倉に住んでたので、たびたび街を散歩しましたが、鎌倉の街を歩いていると、このような石碑に出会うことがあります。

名前だけではあまり知られていない人物でも、石碑をきっかけに歴史を知ることができるのも鎌倉散歩の楽しみの一つです。

 

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