逗子にある「岩殿寺(がんでんじ)」に行ってきました。
岩殿寺の歴史は古く、聖武天皇の勅願によって養老年間(717~724)に行基によって開かれたと伝わっています。
鎌倉幕府からの信仰も篤く、吾妻鑑には源頼朝、北条政子、源実朝が参詣したことが書かれています。
また、小説家の泉鏡花が通った寺としても知られています。
逗子の「岩殿寺」とは?
逗子市久木に佇む岩殿寺は、天平年間(8世紀頃)に創建されたと伝わる歴史ある寺院です。坂東三十三観音霊場の札所として知られ、巡礼の地として多くの人々が訪れます。
『総集三浦郡久野谷郷(神奈川県逗子市久木)海前山岩殿寺(現在は海雲山となっている)の由来は皇統四十五代の聖武天皇の勅願による大和の国(奈良)の長谷寺の開山本願徳道上人が、この地に下向された時に始まる。
それゆえ、当山は徳上、行基両聖人の開基と言われている。また、大非殿前から南海を見渡せるので、山を海前(現代は海雲山)と名付け岩窟が自然の殿堂のようであったので、寺を岩殿寺と号したといわれる。
正暦元年庚寅春三月十七日六十五代花山法皇が来山され、ご自身導師となられて百僧法要ご供養を営まれた。従僧は仏眼聖人、弁光僧正、良窓上人、元密上人、伝光僧都、満願上人、咸光上人であった。
又、永安四年四月十八日七十七代後白河法皇が来山され、ここを坂東三十三カ所第二番の霊場とお定めになった。なお、源頼朝が蛭ヶ児島にいた頃、文覚上人の勧めで、当時の本尊を厚く信仰し、夢に現われてお告げを蒙ることがしばしばあったという。戦乱の折、敗色濃くなってからも、大悲の冥を幾度も得て、立直れたというが、なかでも石橋山敗軍のときは、観世音が船人ととなって頼朝を房州洲崎に渡し、たちまち十一面観世音の妙容をあらわして、三浦の方にとび去ったという。頼朝は御報恩のため御来印を下賜され、治世の間は毎月欠かさず参拝されたという。文治三年正月二十三日には頼朝公の姫が参詣。建久二年子の三月には三浦義澄同六兵衛義村参詣。建久三年乙末の二月二十三日には頼朝公幕下参詣。建久三年己卯の五月八日には後白河法皇四十九日の御仏事のため百僧集まり参詣。この折に南堂を補修する。承元三年五月五日には右大将実朝将軍参詣。寛喜二年十一月十一日、大破せる伽藍再建のため、大僧正院家並び十二院の別当が日夜法要を修行され、そのとき、鎌倉殿の命に依り僧西願に勧進して堂宇を再建、三代盟主三七日昼夜祈念したことが「東鑑」にも記されている。
しかし、その後もまた、ものかわり星うつりて七堂伽藍も荒廃し、寺院の面目もなかったものを東照神君(徳川家康)の御仁恵により境内ならびに田畑山林と御朱印を賜わり、その徳沢に潤い、天正十九年十一月には県令長谷川七右衛門長綱が荘厳なる堂宇を再建し、且つ申し請けて寺領五石の御朱印を賜わったという。
(以上「東鑑」「三浦郡記」「相模風土記」および土地旧家覚之書による)』
(坂東三十三箇所霊場第二番札所 岩殿観音)
岩殿寺の山門です。拝観料は100円です。
(岩殿寺山門)
歴史とご利益
岩殿寺は聖武天皇の勅願により、あの行基によって開かれたと伝わっています(行基伝説)。
ご本尊は十一面観世音菩薩で、安産・子育て・病気平癒などのご利益があるとされています。
歴史は古く、鎌倉最古の寺といわれる杉本寺よりも昔からあるようです。
海雲山岩殿寺
- 山号 海雲山
- 創建 徳道上人・行基上人
- 創建年 721年
- 宗派 曹洞宗
- 本尊 十一面観音
岩殿寺見どころ
本堂・観音堂
静かな本堂や観音堂には祈りを捧げる人が絶えません。
(本堂・納経所)
本尊の十一面観世音菩薩は、かつては観音堂に祀られてました。観音堂は逗子市の指定有形文化財です。観音堂は石段を登った先にあります。
(観音堂)
『岩殿寺は坂東三十三観音札所の第二番で、縁起によれば、養老年間(717~724)行基が開創し、花山法皇や後白河法皇も来山されたと伝えられる古刹です。また、鎌倉時代には将軍家の信仰が厚く、『吾妻鏡』には頼朝、政子、実朝らが参詣したと記されています。
現在の観音堂は、棟札によると享保十三年(1728)に時の住持萬英和尚が勧進により再建したもので、造営の大工は鎌倉の蔵並杢之助藤原政吉と工匠清右衛門でした。
桁行三間、梁間五間の寄棟造で比較的小規模なものですが、中世以来の伝統的な密教本堂形式をとりつつ、細部の構造は十八世紀前半の特徴をよく反映しています。
当堂は単に逗子市内の古建築であるだけでなく、鎌倉地方の近世建築の様式的展開を知る上で一基準となる重要な建築であると考えられます。
なお、昭和六十三年の修理工事により、茅葺きから銅板葺となりました。』
逗子市教育委員会
長い石段と自然に囲まれた静寂
岩殿寺は住宅地を進んだ先にあり、まるで山寺のような自然豊かな空間が広がっています。耳をすませば鳥のさえずりや風の音が聞こえ、心が落ち着く癒しの時間が流れます。
境内の奥へは風情ある長い石段を登って行きます。木々に囲まれた石段は、静けさの中に歴史の重みを感じさせ、春や秋には四季の彩が楽しめます。
観音堂へと続く道です。木々に囲まれた石段を登って進みます。
利生堂・奥の院岩殿観音
(利生堂)
(鐘楼と太子堂)
観音堂のさらに奥にあるのが奥の院岩殿観音です。行基が彫ったと伝わる十一面観音が祀られています。
(奥の院岩殿観音)
岩殿寺の周辺スポット
逗子は海と山が近接してるので、海の景色で知られるスポットが数多くあります。
・逗子海岸
・和賀江島
・披露山公園
・大崎公園
・神武寺
岩殿寺アクセス情報
所在地 | 神奈川県逗子市久木5丁目7-11 |
交通 | JR横須賀線「逗子駅」徒歩15分 |
坂東三十三観音霊場巡礼の二番札所
まとめ
岩殿寺の歴史は古く、徳道・行基の両上人によって開山したと伝わっています。源頼朝、北条政子からの崇敬も篤かったといわれ、今もなお地域に根差した静かな信仰の場です。
逗子の自然と調和した空間で、歴史の息吹と心の安らぎを感じてみてはいかがでしょう。
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