2年振りに建長寺に行ってきました。
写真を撮るために開門の10分前に到着し、開門と同時に境内に入りました。
建長寺は、わが国最初の禅寺であり、鎌倉五山の第一位でもある格式ある寺院です。
土曜日には、誰でも参加できる坐禅会や法話といった行事が行われています。建長寺裏の道を進んで行った先にある半僧坊を一通り見て山を下りてみると朗読会をやってました。
大本山建長寺について
建長寺は、北鎌倉エリアにある臨済宗建長寺派の大本山になる寺院です。正式には巨福山建長興国禅寺(こふくさんけんちょうこうこくぜんじ)といい、鎌倉五山第一位の格式をもちます。
建長寺は、けんちん汁発祥の寺院としても知られています。

鎌倉学園側の建長寺入口門には「臨済宗 五山第一 建長寺」の大きな石柱が立ってます。わが国最初の禅宗専門のお寺として知られる建長寺は、建長5年(1253)に鎌倉幕府第5代執権であった北条時頼によって建立されました。
北条時頼は建長寺を建て、蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)や、兀庵普寧(ごったんふねい)に師事しました。時頼は、自らも出家して覚了房道崇(かくりょうぼうどうすう)という法名を名乗っています。
時頼に開山として迎えられた蘭渓道隆は、中国の僧の無明慧性に学んだ後に33歳で来日した宋の僧です。蘭渓道隆は建長寺を禅道場として多くの僧を集め、一時は千人を超える僧がこの寺で修行に励んだそうです。その後、京都の建仁寺、寿福寺、甲斐の東光寺などの住持となりましたが、弘安元年(1278)に再び建長寺に帰って66歳で亡くなりました。諡号は大覚禅師といいます。
境内には多くの重要な文化財があり、見物できるものもあります。建長寺では、毎週金土曜の午後4時半~5時半頃まで坐禅会が、毎週午前11時と午後1時に土曜法話が、また、毎週午前10時~11時まで親と子の土曜朗読会が行われています。

建長寺の境内図を見ても境内が広いのが分かります。
建長寺の散策
建長寺の伽藍配置は、中国の宋の禅宗寺院のやり方を模範にしていて、創建した当時は、総門、三門、仏殿、法堂、方丈(龍王殿)などの建物が直線に並んでいたといいます。しかし、その後の火災によって多くの建物は焼失してしまいました。
江戸時代に沢庵和尚や以心崇伝(金地院崇伝)の進言があり、江戸幕府の後援によって再建されたといわれています。

三門、仏殿、法堂は今でも直線状に並んでおり、当時の面影を見ることができます。
建長寺に到着したのが5分前に到着しましたので、総門は閉じてました。建長寺は正式には巨福山建長興国禅寺といいますが、総門には巨福山の扁額が掛かっていて、巨福門ともいわれています。

今の総門は、江戸時代、天明三年(1783)に京都・般舟三昧院で建立されたものを昭和十五年に移築したものだそうです。額の巨福山は、中国からの僧、一山一寧禅師によって書かれたものです。

開門と同時に入って一番乗りしたので、他にお客さんはいません。寺院は早起きして行くのが一番です。

総門から三門までの参道横に、さざれ石があります。
「この石は国歌君が代に歌われるさざれ石(細石)です。石灰岩が長い年月をかけ溶解し、小石を凝結してこのような形状の石となりました」と看板にあります。
受付を進むと重要文化財の建長寺三門が見えてきます。何度見ても立派な三門です。

三門とは、三解脱門の略で、山門をくぐることによってあらゆる執着から解き放たれることを意味します。楼上には、釈迦如来、十六羅漢、五百羅漢が安置されています。
建長寺の三門は、江戸時代の安永四年(1775)に万拙碩誼(ばんせつせきぎ)和尚が関東一円から浄財を募って再建されました。

建長寺三門は、建築史上においても重要な役割があるといわれています。
建長寺三門の下に安置されている「おびんずるさま」で親しまれている像です。

仏様の弟子の十六羅漢第一番の賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)です。病気や患部と同じ所を撫でると治癒するといわれています。 みんなに撫でられているせいか身体中が変色してます。
三門の横向には、国宝の梵鐘があります。

この鐘は大和権守物部重光によって建長七年(1255)に鋳造され、開山の蘭渓道隆の銘文が浮き彫りにされています。
鐘楼の横にある解説で、正岡子規の「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」は夏目漱石の「鐘つけば銀杏ちるなり建長寺」を参考にしたと紹介されてます。
三門と仏殿の間は柏槇(びゃくしん)の庭と呼ばれており、この建長寺の柏槇はかながわの名木百選に数えられています。

柏槇の庭の真ん中を通る参道の両脇には、蘭渓道隆お手植えといわれる7本の柏槇の古木があり、樹齢は約七百六十年といわれます。
柏槇の庭の先にあるのが本尊の地蔵菩薩坐像を安置している仏殿です。

現在の仏殿は、創建当初から数えて四代目のものだそうで、東京芝の増上寺にあった徳川秀忠夫人の霊屋を建長寺が譲り受けたとされています。

(本尊の地蔵菩薩坐像)
仏殿の隣にあるのが重要文化財の法堂です。

法堂は住職が仏に変わって須弥壇で説法するためのお堂ですが、現在は千手観音菩薩が祀られています。
文化十一年(1814)に再建され、木造建築では関東最大級といわれています。

方丈(龍王殿)の正門は重要文化財となっており、崇源院御霊屋の唐門で正保四年(1647)に移築されたものです。

この門の向こうが方丈です。この唐門は、桃山風向唐破風(屋根の端の山形をなす所が反曲した曲線状になっている破風)で漆塗りの四脚門です。

方丈(龍王殿)には、宝冠釈迦如来が祀られています。方丈とは、本来は住持が住居する場所をいいますが、現在は法要・坐禅・研修の場所として使用されています。建物は享保十七年(1732)の建立で、最初は皇室の遺灰を安置するためのものだったそうです。
方丈の裏側には有名な庭園があります。 建長寺の庭園は、国の名勝史跡として指定されています。名勝史跡は神奈川県には建長寺の庭園を含めて5か所あります。

蘸碧池(さんぺきち)を中心とする庭園は蘭渓道隆によって作られたといわれ、創建当時からあるそうです。蘸碧池は、緑の木々の色が青い水にひたって輝いていることを表しています。
天狗が立ち並ぶ半僧坊
建長寺の奥にある道は、半僧坊へと続いています。
建長寺の鎮守である半僧坊は、建長寺から結構歩きます。 200段以上の階段があるので、建長寺境内の延長と思って軽い気持ちで進んで行くと、とんでもない目にあいます。

半僧坊に続く道です。

きれいに整備された参道です。周りは緑に囲まれているので清々しいです。

半僧坊の階段です。ここから本殿まで階段が続きます。
階段を上った先には、天狗の像が何体も現れます。

下にある建長寺を見守るように像が立っています。

ちなみに半僧坊はパワースポットとしても人気なので、女性が階段を頑張って登っているのを見かけます。
さらに階段を上ると半僧坊の本殿が見えてきます。

本殿の横奥には、天園ハイキングコースから建長寺に入った人に向けた料金所があります。

かながわの景勝50に選ばれた「喚き十王岩の展望」の場所は、階段を上った先にあるハイキングコース入口から進んで行った先にあります。
「鎌倉十王岩の展望」喚き十王岩からの鎌倉市街地の眺めとアクセス
喚き十王岩は、かつて近くに処刑場があって、怨念が夜な夜な喚くような声を発することからきています。
多くの人が半僧坊からの眺めを絶賛してますが、確かに眺めは良かったです。

半僧坊からの眺めもなかなか良いですが、もっと上のハイキングコースに進んだ先からの方が良いです。

冬場などの乾燥している日であれば、富士山が見えることもあるようです。
建長寺のアクセス、拝観案内
| 所在地 | 神奈川県鎌倉市山ノ内8 |
| 交通 | JR「北鎌倉駅」から徒歩15分、または、JR「鎌倉駅」から徒歩30分 |
| 拝観時間 | 8:30~16:30 |
| 拝観料 | 大人(高校生以上)500円、小人(小中学生)200円 |
駅から建長寺まで結構歩きますが、駅からバスも出てます。 建長寺には、駐車場と駐輪場があります。

建長寺の駐車場は1時間600円です。 鎌倉学園側の入口近くに狭いですが駐輪スペースもあります。
まとめ
・建長寺は臨済宗建長寺派の大本山であり、鎌倉五山第一位の寺院です。
・正式には巨福山建長興国禅寺といい、建長5年(1253)に鎌倉幕府五代執権の北条時頼により、開山に蘭渓道隆が招かれて建立されました。
・本尊は、高さ239.5センチの地蔵菩薩坐像です。
・国の重要文化財となっている三門、仏殿、法堂、唐門、かながわの名木百選に数えられる柏槇、国宝の梵鐘、名勝指定されている庭園など、見所が多い寺院です。
・創建当時の伽藍は、中国の宋を模範にしたもので、総門・三門・仏殿・法堂・方丈が直線に並んでおり、今もその面影を残しています。

コメント Comments
コメント一覧
コメントはありません。
トラックバックURL
https://kanagawa.yokohama-lifeplan.com/kamakuragozan-kenchoji/trackback/