鎌倉の3つの御所跡地めぐり|大倉幕府・宇都宮辻子幕府・若宮大路幕府

鎌倉

鎌倉時代の政治の中心になった御所(幕府)があったのが、大倉幕府、宇都宮辻子幕府、若宮大路幕府です。

現在は跡地として碑や神社に姿を変えてますが、これら3つの幕府跡地は数百メートルしか離れてません。

今回はお盆休みを利用して3つの御所を回ってきました。3か所回っても1時間もかからず巡れるので、観光の合間にふらっと立ち寄れる気軽さがあります。

歴史散策を気軽に楽しみたい方にもぴったりです。

鎌倉時代の3つの幕府(御所)とは?

平氏を倒し、治承4年(1180年)に鎌倉に入った源頼朝が居館を建てたのが大倉です。

大倉御所は頼朝の居館兼政庁として、政治の拠点になりました。

建久3年(1192年)に頼朝は征夷大将軍となり、鎌倉に幕府が開かれました。

現在では鎌倉幕府の成立は1185年と習うようですが、幕府の成立については諸説あるので、ここでは1192年として話を進めていきます。

 

鎌倉時代は、1192年から1333年の130年間ですが、大倉幕府の他に幕府の政庁となったのは、宇都宮辻子幕府と若宮大路幕府があります。

幕府となった順番は、大倉幕府、宇都宮辻子幕府、若宮大路幕府の順になっています。

  1. 大倉幕府(建築は1180年・1192年~1219年)
  2. 宇都宮辻子幕府(1225年~1236年)
  3. 若宮大路幕府(1236年~1333年)

 

上から大倉幕府、若宮大路幕府、宇都宮辻子幕府です。

 

大倉御所(幕府)跡

頼朝が居館とした場所は大倉御所と呼ばれ、1219年に火災で焼失するまで幕府の政庁でした。

大倉幕府があった場所は、鎌倉と六浦を結ぶ金沢街道沿いにあったといわれています。

最初は亀ヶ谷が候補地に挙がっていたそうですが、既に岡崎義実が頼朝の父義朝の菩提を弔うお堂を建てていたため、大倉に建てたそうです。

 

中世の鎌倉は火事が多く、地震や失火だけでなく、放火と疑われる火事も多かったそうです。特に北条氏の館を狙った火事が多かったようです。

 

『今を距る七百三十七年の昔、治承四年源頼朝邸を此の地に営み後、覇権を握るに及びて政を此の邸中に聴く。所謂大蔵幕府是なり。爾来、頼家・ 実朝を経て、嘉禄元年、政子薨じ、幕府の宇津宮辻に遷れるまで此の地が覇府の中心たりしこと実に四十六年間なり。』

 

所在地 神奈川県鎌倉市雪ノ下3丁目11

 

大蔵(大倉)幕府の石碑が清泉小学校の区画の角にあります。さらに奥に進むと頼朝の墓や法華堂跡があります。

鎌倉で巡る源頼朝と鎌倉幕府の偉人たちの墓|歴史ファン必見の史跡

 

大倉幕府

  • 頼朝が開いた最初の幕府
  • 大倉の地に政治の中心を置いた
  • 現在は跡地に石碑が建つ
  • 鶴岡八幡宮から徒歩圏

 

宇都宮辻子御所(幕府)跡

1219年に3代将軍の源実朝が甥の公暁に殺害されたため、次の将軍となる人物を京の九条家から迎え入れ、政治は北条家が後見しました。

承久3年(1221年)に承久の乱が起こり、北条義時が勝利したことで鎌倉幕府の体制は強固となりましたが、承久の乱から3年後の元仁元年(1224年)、北条義時は死去し、代わって北条泰時が3代目執権になりました。

翌年には、北条政子と大江広元といった幕府を支えた重要人物が死去しています。

 

心機一転するために北条泰時は、幕府の移転を提案します。

「もっと行きたい鎌倉歴史散歩(奥富敬之著)」によれば、将軍御所の移転の際に、北条泰時は陰陽師から激しい反対意見にあったそうで、泰時は何度も陰陽師を招いて意見を聞きつつ、移転工事を進めたそうです。

 

そして、翌1225年に北条泰時は、宇都宮辻子に幕府を移しました。

鎌倉幕府の有力御家人であった宇都宮氏の邸宅があったことから宇都宮辻子幕府と呼ばれ、12年間幕府が置かれました。

辻子とは、細道、小道といった意味です。

 

宇都宮辻子に幕府があったのはわずか12年でしたが、この期間に御成敗式目が整備され、戸主制も用いられました。

 

『鎌倉幕府は初め大蔵に在りしが、嘉禄元年(1225)政子薨じてより、之を地に遷さんとの議起こり、乃ち時房、泰時等巡検評議の末、同年十一月、此の地に造営、十二月将軍藤原頼経此に移り住す。爾後嘉禎二年、頼経再び之を若宮大路に遷せるまで、天下の政令の此に出づるもの凡て十二年なり。』

 

宇都宮辻子跡地には、現在は宇都宮稲荷神社という小さな稲荷社が建っています。道が狭いので車では来れません(手前まで)。

 

所在地 神奈川県鎌倉市小町2丁目15−19

 

若宮大路から少し入った先に宇都宮辻子があります。

 

宇都宮辻子幕府

  • 北条泰時の提案によって幕府が移転
  • 現在は稲荷神社が建っている

 

若宮大路御所(幕府)跡

1225年から1236年まで宇都宮辻子に鎌倉の幕府がありましたが、1236年からは若宮大路幕府が建築され、政治の中心になりました。

移転の理由は不明ですが、1236年から鎌倉時代の終わりまでの98年間、若宮大路に幕府が置かれました。

 

『鎌倉幕府は初め大蔵に在りしが、嘉禄元年、政子の薨ずると共に将軍藤原頼経之を宇都宮辻に遍し後、十一年にして嘉禎二年再び此の地に遍ず。爾来九十八年頼経以後六代の将軍相次ぎて政を此に聴けり。元弘三年新田義貞の鎌倉に乱入するに及びて廃絶せり。』

 

所在地 神奈川県鎌倉市雪ノ下1丁目11

 

若宮大路幕府跡は、狭い道の十字路にあります。

 

若宮大路幕府

  • 北条氏が執権政治を確立した
  • 現在は石碑が建っている
  • 鎌倉幕府終焉の地

 

まとめ

鎌倉時代の三つの御所(幕府)

  • 大倉幕府
  • 宇都宮辻子幕府
  • 若宮大路幕府

 

今回は自転車で回りましたが、全部回っても石碑以外何もないので15分くらいで終わりました。

3つの幕府は鶴岡八幡宮から近いので、周辺には寺院や史跡も多いです。

 

おすすめ散策コース

  • 鶴岡八幡宮→大倉幕府→若宮大路幕府→宇都宮辻子幕府→小町通りで飲食

 

合わせて立ち寄れる観光スポット

  • 宝戒寺
  • 頼朝墓
  • 妙本寺

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