先日、「おとなの歩き旅」という番組を観たのですが、その番組で鎌倉の鶴岡八幡宮から金沢八景までを歩いて周辺の史跡を紹介していました。
その番組内で金沢区の遺跡を紹介していたのですが、その中で訪れたことがないのが上行寺東遺跡です。
上行寺は何度も訪れたことがありますが、上行寺東遺跡は知らなかったので、休日に早速行ってきました。
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上行寺東遺跡とは何か

横浜市金沢区に残る中世の重要遺跡
上行寺東遺跡は、横浜市金沢区六浦地区にある中世遺跡です。
マンション建設で遺跡が破壊されてしまいましたが、鎌倉時代~室町時代初期にかけて形成されたのではないかといわれています。
テレビでは遺跡がある場所から朝比奈方面を眺めると、山に切れ目のようなものがあって、それが朝夷奈切通だといってました。
この場所は、六浦湊と鎌倉を結ぶ交通の要衝を見下ろす立地であり、歴史的にも重要な意味を持つ場所でした。
【Googleマップ】
発掘調査で判明した遺跡の全体像
上行寺東遺跡にある案内によれば、昭和59年から行われた発掘調査で鎌倉時代の遺跡であることが明らかになりました。
・昭和59年・61年の二度にわたって発掘調査が行われた
・上段・中段・下段に分かれた構造
・確認された主な遺構
- やぐら:43基
- 建物跡:7基
- 墓壙:18基
- 井戸:2基
- 多量の陶磁器・石塔・古銭・銅製品など
上行寺東遺跡の見どころ

六浦を一望できる立地
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六浦湊は中世における鎌倉最大の貿易港
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中国・朝鮮との交易拠点でもあった
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その六浦を見下ろす丘陵先端という戦略的立地
やぐら群と出土遺物
やぐらは、鎌倉周辺でよく見られる中世の武士や僧侶の墓・供養する穴です。
やぐらの中には供養塔や墓が設置されます。やぐら自体は鎌倉周辺の逗子や金沢区の住宅地でも割と見かけます。

上行寺東遺跡のやぐらは保存されています。


(上行寺東遺跡のやぐら)
上行寺東遺跡のやぐらだとイメージがつきにくいので、朝夷奈切通にあったやぐらを紹介します。

(朝夷奈切通のやぐら)
陶磁器・古銭・石塔類の出土
陶磁器や古銭は見れませんが、遺跡の発掘調査で多量の陶磁器類・石塔・古銭・銅製品が出土したそうです。

遺跡は復元されたものなので、誰でも歩いて見学できます。
壊れた阿弥陀如来像
この遺跡には壊れた阿弥陀如来の像(下半分のみ)が見られます。

現在の上行寺東遺跡は「レプリカ」である

マンション開発と保存問題
マンション建設の事前調査で遺跡が発見されたといわれてますが、実際は遺跡があることは一部では知られていたそうです。
遺跡の保存をめぐって近隣住民から保存要望が出ましたが、市は開発を中止することはできず(中止されることはほとんどない)、実物は撤去されてしまいました。
そのため、現在見学できる遺跡は大部分が撤去される代わりに作られたレプリカです。
現地を歩いて感じた正直な印象
今の遺跡は一部がレプリカ(復元模型)です。

現在の遺跡を実際に歩いてみた感想は、足元はプラスチックのような感触で、軽い音がしました。
歴史的価値は高いかもしれませんが、実物を見たい人には少々物足りないかもしれません。
上行寺東遺跡と周辺史跡の関係

朝夷奈切通との位置関係
朝夷奈切通は鎌倉七口の一つとされる重要な交通路です。
六浦と鎌倉を結ぶ重要なルートが朝夷奈切通であり、執権金沢氏もこの路を通って金沢文庫と鎌倉を往来しました。
上行寺と遺跡の関係
上行寺は現在も金沢区に残る寺院で、地域の信仰の拠点の一つです。
上行寺東遺跡との関係は不明ですが、両者は地理的に近く、何らかの関係性があった可能性は否定できないと考えられています。
浄願寺説がある
上行寺東遺跡は、源頼朝が建立した浄願寺跡の一部であった可能性を指摘する説があります。

(浄願寺と光徳寺を併合して創建されたといわれる龍華寺)
参考文献
https://www.totetu.org/assets/media/paper/t109_017.pdf
上行寺東遺跡はどんな人におすすめか

向いている人
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金沢区・六浦の歴史に興味がある
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鎌倉周辺の中世史に興味がある
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遺跡の背景を知りたい人
向いていない人
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迫力ある実物遺跡を期待している人
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観光地としての分かりやすさ重視の人
まとめ|失われた遺跡から中世の金沢を考える
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上行寺東遺跡は六浦と鎌倉を結ぶ重要地点
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実物は残らなかったが、歴史的意義は大きい
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周辺史跡と合わせて歩くことで理解が深まる

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