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鎌倉尼五山とは?鎌倉に存在した尼寺の五山制度
かつての鎌倉には、「鎌倉尼五山」と言われた格式高い尼寺がありました。
鎌倉の五山制度は、京都の五山制度にならってできたものですが、その尼寺バージョンが鎌倉尼五山です。
鎌倉尼五山も五山と同じく格式ある5つの尼寺の総称です。
ところが、尼五山は鎌倉五山と違って現在ではほとんどが廃絶しています。
第一位の太平寺だけ跡地の近くに碑がありましたが、場所もよく分かってない寺もあります。
鎌倉五山と尼五山

鎌倉五山
鎌倉五山は、第一位の建長寺から第五位の浄妙寺まであり、現在も鎌倉で人気の観光地として現存しています。
- 第一位建長寺
- 第二位円覚寺
- 第三位寿福寺
- 第四位浄智寺
- 第五位浄妙寺
鎌倉五山については、以下の記事でそれぞれ詳しく紹介しています。
鎌倉五山第一位「建長寺」|鎌倉時代から続く日本最初の禅宗専門寺院の魅力
鎌倉五山第二位・円覚寺|800年の歴史が息づく鎌倉随一の古刹
静寂の中で過ごす時間|鎌倉五山「浄智寺」の魅力と心落ち着く風景
鎌倉尼五山
この鎌倉五山にならってできたのが鎌倉尼五山です。
しかしながら鎌倉尼五山のほうは、東慶寺を除いて廃寺になってしまいました。
しかも、唯一残っている東慶寺は、今は尼寺ではなくなっています。
ちなみに今の鎌倉で唯一ある尼寺は「英勝寺」です。

(英勝寺)
鎌倉尼五山は、以下の五つの寺をいいます。
第一位太平寺:開創は尼妙法、成立年代は不明、弘治2年(1556)に北条氏康によって廃寺にされました。
第二位東慶寺:開山は覚山志道尼(北条時宗の妻)、開基は北条貞時、弘安8年(1285)に開創され、現在は尼寺ではなくなってしまいましたが現存しています。
第三位国恩寺:開山と成立時期は不明、東慶寺の門前にあったといわれていますが、後北条氏の時代に廃絶したそうです。
第四位護法寺:開山は尼覚菴、鎌倉時代後期に成立、荏柄天神の西にあったそうです。
第五位禅明寺:開山と成立時期は不明、報国寺か衣張山の近くといわれていますが、詳しいことは分かっていません。
参考
太平寺滅亡 鎌倉尼五山秘話
鶴岡八幡宮寺 鎌倉の廃寺
第一位 太平寺|鎌倉尼五山筆頭の尼寺と廃絶の理由
東慶寺以外は廃寺になってしまいましたが、鎌倉市西御門の来迎寺の階段横には「太平寺跡」の碑が建っています。
太平寺は、尼妙法によって鎌倉時代に創建され、足利氏の時代に清渓尼によって再興されました。
太平寺跡所在地
所在地:鎌倉市西御門1丁目10-10
太平寺跡碑の案内

「太平寺は比丘尼寺にして相伝ふ。
頼朝池禅尼の篤恩に報いん為、其の姪女の所望に聴き、姪女をして開山たらしめん所なりと、足利の代、管領・基氏の族裔・清渓尼の中興する所となれるが、天文中、里見氏鎌倉を歯掠せる時、住持・青岳尼を奪ひて房州に去りてより遂に頽破せり。
今の高松寺は、寛永中、紀州徳川家の家老水野氏が其の太平寺の遺址を改修せるものなり。」
青岳尼と里見義弘の物語
この太平寺にはちょっと面白い話が残っています。
戦国時代の関東では、後北条氏が関東管領の上杉家と争って領土を拡大していました。
また、足利家が古賀公方と小弓公方とに分かれて争っておりましたが、後北条氏は古賀公方を支持し、小弓公方を支持したのは安房里見氏や真里谷信応でした。
里見家は、北条氏の支援で本家の義豊を倒した義堯が当主となっていましたが、義尭は当主となると北条氏と縁を切り、1537年の国府台の戦いでも小弓公方側で北条氏と戦いました。
しかし、この戦いで小弓公方の足利義明は敗れて戦死し、娘の青岳尼も捕らえられて太平寺の住持にさせられました。
足利義明の娘・青岳尼は、里見義尭との同盟の際に義尭の嫡男の義弘と婚約したといわれています。
その後、里見義弘は、1556年に船を渡って鎌倉を攻めた際に、住持の青岳尼と本尊の木造聖観音菩薩立像を奪っていきました。
里見義弘と一緒に房総に渡った青岳尼は、還俗して義弘の正室になったそうです。
青岳尼が房総に渡って里見義弘の正室になったことを知った北条氏康は、怒って太平寺を廃寺としてしまいました。
西御門の来迎寺
太平寺碑の横には、来迎寺の階段があります。

写真の階段を上った先に来迎寺の門があります。階段の左に太平寺跡の碑が建っています。
鎌倉には、ここ西御門と材木座2丁目に来迎寺という寺院があります。
西御門の来迎寺は、鎌倉観音第五番札所、鎌倉地蔵第二番札所、鎌倉十三佛第十番札所です。
宗派は時宗で、山号を満光山といい、一向上人によって1293年に建立されたそうです。
本堂には、阿弥陀如来坐像と地蔵菩薩像が安置されています。
地蔵菩薩像は、近くにかつてあった報恩寺の本尊だったそうです。
報恩寺は、上杉能憲によって1371年に創建されましたが、現在は廃寺になっています。

(来迎寺の本堂)
第二位|東慶寺(唯一の現存寺院)

(東慶寺)
東慶寺の歴史
東慶寺は、鎌倉尼五山第二位の寺院で、開山は北条時宗の妻・覚山志道尼、弘安8年(1285)に開創されました。
ミシュランガイドの3つ星を獲得しているので、外国人も他の寺院よりよく見かけます。
駆け込み寺としての歴史
現在の東慶寺は尼寺ではなくなってしまいましたが、尼五山では唯一現存している寺院です。
そして、何より東慶寺を有名にしたのは駆け込み寺・縁切寺としてです。映画「駆け込み女と駆け出し男」のモデルにもなっています。
また、東慶寺裏には、多くの著名人のお墓もあり、後醍醐天皇皇女や豊臣秀頼の娘の墓もあります。
花の名所
東慶寺は花の名所としても知られています。
中でも梅の名所として有名です。
第三位国恩寺・第四位護法寺・第五位禅明寺
東慶寺以外の尼五山は、廃寺になっていて今はありません。
第三位 国恩寺(廃寺)
鎌倉尼五山第三位の国恩寺は、東慶寺の門前にあったといわれます。

東慶寺の境内入口。
第四位 護法寺(廃寺)
尼五山第四位の護法寺は、荏柄天神の西にあったそうです。

(荏柄天神社)
第五位 禅明寺(廃寺)
尼五山第五位の禅明寺は、明確な場所が分かっていませんが、報国寺、衣張山の近くではないかといわれています。
鎌倉尼五山のまとめ
・鎌倉尼五山は、室町時代の五山制にならってできた臨済宗の格式制度。
・尼五山には、京都尼五山と鎌倉尼五山がある。
・鎌倉尼五山は、第一位から太平寺、東慶寺、国恩寺、護法寺、禅明寺の順位であった。
・鎌倉尼五山で残っているのは東慶寺のみで、他の寺院は廃絶している。
現在は多くが失われてしまった鎌倉尼五山ですが、跡地や周辺を歩くことで、鎌倉が持っていたもう一つの歴史に触れることができます。
鎌倉散策の際は、ぜひ尼五山の痕跡にも目を向けてみてください。

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